かこ日記

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●8月31日
朝から近所の地域センターで、ゲリラ的ライブの打ち合わせ。?
夕方から「北とぴあ」にて新沢としひこさん工藤直子さんとのコンサートでした。
相変わらずのアドリブ中心の進行にグッタリしてしまいました。 でも、気合いの入った素晴しいライブだったらしいです。

打ち上げが「塩梅」。仕上げが「Zaji」でした。
そして今月も終わり、ってことを再確認しました。


●8月30日
名残惜しいながらも、事務局T氏とY氏と機材とともに東京に戻ってきました。
東名で東京に近づくにつれ空の色がグレーっぽくなってくるのが寂しかったです。
志太のミュージカル関係者の皆様、本当にありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

「木舞家」にて夕食。
そして夜、気仙沼のアマチュアミュージカルの演奏依頼が。
う〜む。


●8月29日
あっという間に千秋楽の日。
やっぱり感動っていうのは自然に生まれてくるもので、作り出せるものではない、ということを痛感しました。
なんどもグッときてしまい、涙をこらえるのに必死でした。(ホントです)
ロビー乾杯の発声係だったのですが、キャストに120点、ウラカタさんに123点あげました。
ホントに素晴しい経験をさせてもらいました。
同時に最後の最後まで凡ミスをやらかすプロを見て、「プロ」、「アマ」の差ってなんなんだろなあ、と深〜く考えてしまいました。

ともあれ打ち上げは「岡出山老人いこいの家」、2次会は「山小屋」、そして「榧」にて焼津のコンサートに仕事できていたエピキュラスの森田氏と合流。彼と飲んでいて「プロ」ってやっぱりこうだよなあ、となんだかドロドロになりつつも心地よい酔い方ができました。


●8月28日
昨日までのアマチュア舞台監督の仕事も終え、今日はしっかりと本番を鑑賞する日。
昼の部、Bキャストには作詞の伊藤アキラ先生がおいでになりました。
アマチュアとは思えない出来映えにビックリされてました。
キャストにも応援のお言葉をいただき、ありがとうございました。
サヤカ役の村松さんの「これが私の甲子園です。」というプログラム用のコメントに、「な〜るほど」とおっしゃっていたそうです。

夜の部、Aキャストには私の所属事務所、フェイス音楽出版の荒木氏が駆けつけてくれました。
劇団「四季」他、数々のミュージカルの音楽コーディネートを手がける彼も、「東京の適当なプロのミュージカルよりもぜんぜんよかった。」という謎のコメントをいただきました。

ステージは最高でした。
でも、プロのケアレスミスの多さには納得がいきません。

静かに「榧」で食事。
ホテルに戻って、何故か支配人さんと4時までロビー飲み。
いまだに謎。


●8月27日
初日だというのに朝から照明の直し。
午前中は照明のみだったので、初体験の調光室で照明Y氏とともに昨日残ってしまった部分の直し。
午後はキャスト、道具、ムービングも一緒にラストの部分とフィナーレのリハ。
やっと一通りの仕込みが終了しました。
細かい手直しを経て遂に初日の幕が開きました。
いや〜、感動しました。
泣きそうでした。
素晴しい舞台でした。
アマチュアの皆さんは・・・。
プロの皆さんはミスも多く、もうすこしがんばりましょう、といった感じでした。
ダメ出しにおつきあいまでで、私の介入仕事は終了、ってことにさせて頂きました。
プロなんだからなんとかするだろう、またなんとかできなければプロじゃないだろう、と思ったからです。

プロデューサー達と「XYZ Diner」、スタジオで録音を担当してくれ、東京から初日に駆けつけてくれたエンジニア増田氏と「榧」。


●8月26日
前夜、介入策の第1弾としてタイムテーブルを組み事務局のT氏に託したため、会館に到着した頃には楽屋の各所に当日のタイムテーブルが張り出され、それによって進行しよう、という事になってました。
照明のシュートは午前中いっぱい、という予定だったのに、早くも30分オシ。
その間に調光室に出向き、照明Y氏から事情聴取。
ムービングS氏と照明Y氏の主張は真っ向から対立するもので、双方の意見を聞き入れているとこの仕事は成立しないという事が判明。
そこで、私が間に入り、両方の意見を聞きつつ、しかもプロデューサーの意向も確認しつつ進行する、という扇子のカナメか国連の明石さんか、という仕事が決定しました。
昼食休憩明けから、インカムとガナリマイクが私に与えられ、司会進行なんだかエセ舞台監督なんだかよくわからない仕切りがはじまりました。
舞台のプロデューサーはアマチュア側にはいるのですが舞台上のアマチュアのスタッフを仕切り、音響、照明はプロにお任せ、というシステムだったため当然プロに対するダメ出しをしている余裕はないわけです。
いよいよ、各シーンごとの照明手直し作業のはじまりはじまり。
それは忍耐力、精神力を必要とする仕事でした。 ムービングS氏、照明Y氏共に、普段は照明のプランニングから手がけている方々なので、双方に全く異なったプランが存在していた事は昨日、今日の事情聴取で判明していました。逆にいざアカリをあててみると同時に両方で同じところを照らしたり、というシーンもありました。
でも、私までキレテしまったら収拾がつかないので、ここは照明中心、ここはムービング中心、といった方法しかありませんでした。
コマーシャルの仕事ではよくある事なのですが、クライアントと代理店と監督が全く違う音楽を要求した場合にその場をどう乗り切るか?、という過去の辛い経験をもとにガンバリました。
2幕の途中まで進んだところで、タイムテーブルにより時間切れ。
こんな状態のリハに付き合わせてしまったキャストには、申し訳ない気持ちでイッパイでした。

なんだかんだで、Bキャストのランスルーが始まりました。
キャスト、道具は完璧なのに、しかもランスルー2日目なのに、プロのスタッフはまだ出来上がっていない事に悲しい気持ちになってました。

音楽家もこんな時のために照明を勉強しよう、とココロに誓った日となりました。?

事務局S氏の主催の会が「ニューシルバー」でおこなわれました。
カラオケになってしまったので「Monkey Pocket's」にゲルニして静かに飲んでグッタリ寝ました。


●8月25日
いよいよAキャスト(ダブルキャストなので)のランスルーの日。
昼ごろ楽屋入りしたのですが、華やかな雰囲気が漂っていました。
各キャストの皆さんもとてもよい表情で、本番に向けてのこれまでの努力が実るよう応援せねば、という気持になりました。
ステージにも完成した道具たちが立派に並んでました。
アマチュアの皆さんが一年がかりで作った道具たちは、それはもう素晴しいもので、道具、というより、作品、といった感じでした。
で、サウンドチェックはいつかなあ、と思って客席に行ったら、昨日と同じ静寂が・・・。
ありゃ、何か変だぞ、と思いつつも、私は作曲担当なので、現場に口をはさむわけにもいかず、ジット成り行きを見つめているうちに、ランスルーの時間は刻々と迫ってきたのでした。
そんな間に、とりあえずムービングS氏と雑談をしながら事情聴取してました。
そしてランスルー。
キャスト、道具系のアマチュアが受け持っている部分はほぼ完璧、といった仕上がりで感動ものでした。
それに引き替え、プロの手がける部分が全滅。
ランスルー、ってものは本番と同じように出来て当然のものなのですが、こんなに仕込みが追い付いていない現場は初めて見ました。
こんなことでは、1年間頑張ってきたアマチュアの皆さんがかわいそうだ、と途方に暮れていました。

で、冷戦状態の照明部の片割れ、ムービングS氏を交えてプロデューサーと共に、傾向と対策を「ロマン」にて深夜まで協議しました。 そして、私に現場介入の委任がありました。
なんとか良いものを創りたいので、なんとか参加してみることになりました。
あまり美味しいお酒にならない夜でした。


●8月24日
午後から、音響のチェックのため1時に会場入りしたのですが、いつまでたっても謎の静寂が続いていました。
照明のシュートが長びいているなかなあ、と思いつつ、事務局Fさんの歌を遊びで録音しているうちにもう夕方。
歌チェックの2日めがスタート。
特に2日続けて参加した黄金彦役の寺尾さんが、新しい何かをつかんだ様子で、かなり納得度の高い録音実習となりました。
この2日の録音で、各キャストのでき上がり具合を確認でき、もう大丈夫、とココロの中では思っていました。

いい気分で仕事を終えたところに、悲壮な表情でホールから出てきたプロデューサーと遭遇。
「宮田」にて緊急ミーティング。
昼のホールの不気味な静寂は、照明シュートのためではなく、どうも照明家とムービングライトのオペレーターが方針を巡って激突。冷戦状態に陥ってしまった、とのこと。
その種の戦いは日頃から見慣れているので、お話しを聞いてました。
でも、現場で照明プランを立ててるのかなあ?、という疑問を抱きつつも、「ちさと」に移動しプロデューサーからさらに詳しい現状を聞いてました。


●8月23日
今日から一週間 ミュージカル仕事の本番に向けて、焼津、藤枝に泊り込みです。
朝、近所の地域センターに見回り。
午後、現地からのお迎えの車にウチの録音機材を積み込み、東名を一路藤枝に向け出発しました。
会館に到着するのが予定よりも1時間程遅れたので、慌てて器材のセティング。
ホールの方が仕込み日なので、空いているリハーサル室を使って、ソロのあるキャストのボーカルレコーディング実習と歌の最終チェックをしました。
ヘッドホンをして歌うのが初めて人ばっかりだったのですが、さすがに長い間練習を積み重ねてきただけに、みんなバッチリでした。
ただ、稽古のしすぎで喉がかなり疲れているのが心配でした。
到着初日の会を「榧」で、「サザンクロス」では主題曲「トレジャー」を事務局の方々がピアノ伴奏で歌ったり、毎日これだったらどうしよう、かなり盛り上がった夜となりました。


●8月22日
気がつくと朝の6時、ホテルのソファーで気絶してました。
昨日のあまりの楽しさにハシャギすぎて、どうやって帰ってきたかも記憶にありません。
ここのところ過労気味なので、簡単にイッテしまったようです。
と、反省しつつやっとベッドへ。
昼前に、札幌〜千歳を電車で移動し、帰路につきました。
それにしても、空港や飛行機の混んでいること。
人間浴してきました。

和泉多摩川の「ぶんらく亭」で夕食。
インターネットに接続したら、昨日のコンサートの写真が既に主催者のサイトにアップされててビックリ。
この機動力が、あの素晴しい仕切を生んでいたのかもしれません。


●8月21日
朝6時起きで羽田に向かいました。
あわや遅刻、というところをなんとか滑り込んだら、なんと飛行機が遅刻してきました。
あと40分寝てられたのになあ、と思いつつも曝睡のうちに千歳に到着。
札幌のホテルに移動後、いきなりラーメンライスを食し、汗ダラダラに。
午後はホテルでゆっくり休憩してました。
今日は役作りの指定が本人からあって、「ボンボンがそのままオヤジの医者になった感じ。しかも結婚式でタラフク飲んだ後にオペを控えている。」といった奇妙な設定だったので、礼服に着替えました。
夕方、出発前「生ビール無料券」につられてホテルの和食で軽く一杯。
イベンターの方とロビーで待ち合わせしたのですが、土曜日のため結婚式のお客さんでゴッタがえしているうえに、私もそんななかに礼服を着ていたもので、同化してしまってなかなか発見されませんでした。
車でRISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 in EZOの会場まで移動。
とにかく、こんなに素晴しい仕切りのコンサートは初めてでした。
何が素晴しいって、バックステージにいきなり立派なカフェがあって、そこで食べ放題、飲み放題なのです。
さっそく、入ってみると、いるいる、知った顔のバンドマン達が。
特に、UAバンドは知りあいが多かったので、すっかり宴会となってました。
そんなこんなで、役作りもダイブでき上がったところで、いよいよ椎名林檎さんとのステージをむかえました。
5曲だったのですが、気持ちよく演奏できました。
多分良かったと思います。彼女の唄は素晴しいです!
終了後も沢山の知り合いに会い、大ゴキゲンな私でした。
会場内を探検したりしているうちに、酔いがまわって、記憶もどこかへいってしまいました。

ホントに楽しかった夜でした。
関係者の皆様、ありがとうございました。
暴言、暴挙などありましたらお許し下さいませ。


●8月20日
今日は都庁に行く用があったので、展望室を見学してきました。
それにしても、税金があんなものになってしまうなんて、驚きでした。
夜は、神宮で野球観戦。
なにもいいところのない負けっぷりを観てきました。
悲しい・・・。
帰りに、デザイナーKさんと表参道の駅でバッタリ。
「木舞家」のみ。


●8月19日
MIHOさんのライブの日でした。
たくさん飲みました。
「Zaji」、「ねばねば」。


●8月18日
業務連絡、事務仕事の日でした。
夜は、ミキサーズラボの皆さんと「木舞家」で会合。


●8月17日
朝から近所の地域センターのY氏とライブの企画。
狛江発で何かできないだろか、という話をしてました。
午後は、椎名林檎さんと21日のRISING SUN ROCK FESTIVAL 1999 in EZO用のリハでした。
凄い、かもしれません。
リハスタで ミュージカル仕事のマスターテープの受け渡し。やっと納品です。(土屋さん、御苦労様でした。)
終了後新宿で、念願だったi Modeの携帯に機種変更しました。
夜は、MIHOさんの19日のMANDA-LA2ライブ用のリハでした。
一日にリハ2プログラムはかなりコタエマス。
帰宅後、NHKでやっていたカーペンターズのドキュメントを観ました。
昨日、今日と、音楽の原点に還るような番組に出会えて嬉しく思います。


●8月16日
録音終了のため、事後処理を各種。
でもグッタリしていたのでお休みにしました。
夜、狛江の「豆八」で軽く夕食。
BSでスターンのレッスンを観ました。
なるほど、と思う事が多い、よくできた番組でした。


●8月15日
昨日で終われなかった ミュージカル仕事のオケ録りの残りをやってました。
夕方には終わりたい、というはかない望みは打ち砕かれ結局深夜に。
でも、やっと終わりました。
軽く「おやじ窟」。


●8月14日
朝から宅急便で起床。
またまた寝不足で ミュージカル仕事のオケ録りの3日めでした。
今日は、ギターの吉川忠英さん、古川望さん、アコーディオン(?)の 石井AQさんに参加して頂きました。
初日が2時半、2日目が3時半。
ヤナ予感はしていたのですが、やっぱり終了は4時半を過ぎてました。
しかも、今日終了の予定だったのに何故か明日にナダレこむ事になってしまいました。
ガンバッテます。


●8月13日
3時間睡眠で、都立城東高校を応援してました。
負けてしまいましたが、爽やかな気分になる試合でした。
午後からは、 ミュージカル仕事のオケ録りの2日め。
今日も14時間労働でした。
お盆休みの関係か帰りのタクシーがなかなか到着せず難儀しました。
かなり疲れてきました。


●8月12日
今日からいよいよ ミュージカル仕事の本番用オケのスタジオでのレコーディングが始まりました。
石井AQ氏と約14時間に及ぶ録音となりました。
特別参加の国吉ファミリーの皆様、ありがとうございました。
明日につづく・・。


●8月11日
ミュージカル仕事の打ち込みの日でした。
夜は、軽く「木舞家」。
コピー&ペーストで終わるはずの一日が、相曽晴日夫妻と、「大橋屋」へ。
ふ〜。


●8月10日
ミュージカル仕事の打ち込みの日でした。
夜は、軽く「木舞家」。


●8月9日
打ち上げは大勝利、ホテルは冷房に負け、という2勝2敗の成績を残しつつ、帰京しました。
東京駅のホームで、山下洋輔さんにバッタリ。
ウチに着いてグッタリ。
仮眠の後 ミュージカル仕事の打ち込みのデータ整理。
そして「木舞家」、初登場の「このゆびとまれ」ではカラオケヴァイオリン。
狛江って、いわゆる地方よりイナカかもしれません。


●8月8日
多少寝不足ながら、しっかりと朝食をとり、刈谷への移動。
新幹線でも、普通でもたいして到着時間に差がない、という事なので、乗り換えが一回ですもむ普通列車を選択。
浜松で乗り継いで、約2時間の電車の旅でした。
新幹線からの眺めには慣れてしまっている私ですが、在来線からの景色は初めてで、飽きさせないものがああり、普段だったら寝てしまうのに、ずっと起きていました。
少し気になったのは、一人旅に挑戦している若者達でした。バックを背負い時刻表片手に飲み物を片手に電車に乗っている姿の個性のなさ。なんかみんなおんなじ格好で、旅の教科書で実習している集団のように見えてしまったのです。
ま、余計な事ですがね。
それ程長くは感じなかった普通列車の移動でしたが、ホールに到着してみるとドっと疲れが出ました。そういえば、浜松〜豊橋は立ちっぱなしだったし・・。
軽いリハーサルをして、新沢としひこさん谷山浩子さんとのジョイントコンサート。
トークの合間にその場で決めた曲を、というラジオの公開番組のような内容だったのですが、歌手の方々は交代で歌うのに、何故か私には休憩がありませんでした。
しかも、最後には、同じ曲をそれぞれが別のキーで歌う、という無謀な試みがあり、これには参りました。
歌い手もキーも違うので、カラオケのキーチェンジャーのような訳にもいかず、それぞれの個性に合わせて演奏しなければならない訳です。
初めての経験で、タイヘン勉強になりました。ホントです。
終演後は、ホテルの近くで祭りをやっていたので、生ビールを飲みながらスタッフの到着を待ち、知立の「Lourdes」で洋食の打ち上げ。ここの料理もタイヘン美味しかったです。次の「Red Onion」という店がイマイチだったので、ホテルの部屋に有志と戻ったものの、相当疲れていたらしくワタシが気絶してる間に皆さんいなくなってました。
気付いたら朝の5時半。(森田さん、藤巻さん、失礼いたしました。)
またしても、冷房との戦いが。


●8月7日
朝から近所の地域センターのYさんに、パソコンから写真のプリントの仕方を説明してました。
午後から、焼津に向けて出発。
新宿、東京、両駅とも行楽の人々でゴッタがえしでした。
切符売り場も大混雑で、予定していた新幹線には乗れませんでした。
クタクタになって ミュージカル仕事のリハーサルの会場に到着。
そこが、体育館で冷房がないので、今度は汗ダクになって約5時間リハーサルに立ち合いました。
振りと唄のズレているところなどをチェック。
それにしても。歌って踊るというのは、タイヘンなことです。
終了後、「榧」にて超美味な夕食を堪能。そして、静岡ならではの、焼酎のお茶割を飲みました。
当然、飲みすぎました。
深夜、ホテルの冷房と格闘。つけると寒くて起きてしまうし、とめると暑くて起きてしまうし、なかなかタイヘンな空調でした。


●8月6日
この暑さを凌ぐため、近所の地域センターに涼を求めに行ってきました2。
仕事のピンチは覚悟しつつ、二子玉川の「村田屋」さんで焼肉を堪能しました。
明日は ミュージカル仕事で焼津へ、明後日は新沢としひこさん仕事で刈谷へ行ってきます。


●8月5日
この暑さを凌ぐため、近所の地域センターに涼を求めに行ってきました。
でも、やっぱり暑かったので、今日も相曽晴日家と市民プールへ。
夕方には、いつのまにかプールがビールになってました。
和泉多摩川の「ぶんらく亭」、なかなかやります。
野球もやっと勝ち
さ〜て、仕事仕事。寝不足の日々は続きます。


●8月4日
背中ヒリヒリの日でした。
仕事も負け、野球も負け、といったところでしょうか。
まあ、こんな日もあるでしょう。
ピンチの予感が・・・。


●8月3日
昨日までの軽井沢の涼しさがウソのような東京のクソ暑さにウンザリしていたら、相曽晴日家から、近所のプールへのお誘いがありました。
勢いで行ってしまったので、プールは気持ちよかったのですが、日焼け止めをなにも塗らなかったため、背中がヒリヒリになってしまいました。
痛いです。
夕方は、東京にいなかった間の業務連絡の数々でした。
夜は、上原のピッチングに圧倒されて、夏バテもいよいよ本番、といったところでしょうか。


●8月2日
私はゴルフをやらないので、空気の良い軽井沢で新鮮な空気を思う存分吸ってきました。
帰京後、門前仲町の「太鼓」にて、お疲れの会&城東高校ガンバレの会でした。
かなり疲れた三日間でした。


●8月1日
太平洋クラブ テーラーメイドプロアマの前夜祭の日でした。
メンバーは、ドラムの藤井信雄氏、ベースの西村雄介氏、ゲストに吉川忠英氏 飲み友達のゴルフ屋さんでした。
私は、ピアノとヴァイオリンを担当したのですが、 生まれて初めてラウンジ物のピアノトリオを体験しました。
去年に引き続き、財津一郎さんの余興を観ましたが、これだけのために軽井沢に行っても得した気分になれると思いました。
芸の道は、奥が深いものです。
そして、当然のように深夜まで宴会は続きました。



1999年7月の日記目次プロフィールお仕事演奏ネコかるリンク